学ぶことの本質 — 「ものの見方」が増えると世界が変わる
「なぜ勉強するの?」という悩み
ネットでよく見かける悩みです。
- 「テスト前に必死で暗記しても、終わったら全部忘れる。こんなの意味あるの?」
- 「将来ゲームを作りたい。歴史とか古文とか、関係ないことばっかり。必要なことだけ勉強すればよくない?」
- 「受験勉強してるけど、何のためにやってるのかわからなくなった。10代の今しかない時間を、勉強だけに使うのってもったいなくない?」
自分も受験生のころ、まったく同じことを考えていました。「これだけ勉強しているけど、いったい何のためなんだろう?」と。
そんなときに、X(当時はTwitter)でこんなポストを見かけました。
勉強をなぜするのか親に訊いたときに、コップを指して「国語なら『透明なコップに入った濁ったお茶』、算数なら『200mlのコップに半分以下残っているお茶』、社会なら『中国産のコップに入った静岡産のお茶』と色々な視点が持てる。多様な視点や価値観は心を自由にする」というようなことを返された。
これを読んだとき、「なるほど、これだ」と腑に落ちました。勉強とは、ものの見方を増やすことなのだと。
ここからは、冒頭の3つの悩みに対して、自分なりの考えを書いてみます。
「テストが終わったら忘れるのに意味ある?」
忘れます。自分も忘れました。歴史の年号なんてほとんど覚えていません。
でも振り返ると、忘れた知識も「見方」としては残っていることに気づきます。年号は忘れても、「この国とあの国にはこういう関係があった」という感覚は残る。その感覚があるだけで、ニュースの見え方が変わります。
もう1つ大事なのは、知識はコミュニケーションの共通言語でもあるということです。人と話すとき、共通の知識があるだけで会話の深さが変わります。「三国志の話」「相対性理論のたとえ」「源氏物語の人間関係」——こうした知識の断片が、人とつながるための言葉になります。
テストの点数は忘れても、「世界の見え方が少し変わった」という経験は積み重なっていきます。
「必要なことだけ学べばよくない?」
「ゲームを作りたいから、プログラミングだけ学べばいい」——一見合理的に聞こえます。
ただ、実際に面白いゲームを作っている人は、歴史・神話・心理学・音楽など、幅広い知識を持っていたりします。「ゲーム作りに歴史は要らない」と思っていても、歴史を学んだ後で「あの知識がストーリー設計に効いた」となることは本当に多いです。
経験と知識にはレバレッジが効きます。1つの知識が単体では役に立たなくても、別の知識と組み合わさったとき、思いもよらない力を発揮する。これは自分自身、プログラミングと栄養学という一見関係ない2つの分野を学んだからこそ実感していることです。
とはいえ、「必要なことだけ学べばいい」という発想自体は間違ってないとも思います。座学だけが勉強じゃないからです。ゲームを実際に作ってみるのも立派な勉強だし、旅に出て知らない文化に触れるのも勉強です。教科書を開くことだけが「勉強」ではありません。
大事なのは、「学ぶ」という行為の定義を狭く捉えすぎないことかもしれません。
「10代の時間を勉強だけに使うのはもったいない?」
この気持ちはすごくわかります。自分も受験生のとき、まさに同じことを感じていました。
ただ、1つだけ自分に問いかけてみてほしいのは、**「勉強以外にやりたいことがあるのか、それとも勉強から逃げたいだけなのか」**ということです。
もし本当にやりたいことがあるなら、そっちに全力で向かうのもアリだと思います。でも「なんとなくもったいない気がする」「もっと大切なことがある気がする」という漠然とした感覚だけなら、それは逃げかもしれません。
自分の場合、大学時代に「とりあえず幅広く学んでみよう」と決めて色々なことに手を出しました。その結果、栄養学を学んだことで食事の見え方が変わり、プログラミングを学んだことでサービスの裏側が見えるようになり、旅先で歴史を知っていたことで景色の深みが増しました。
当時は「これが何の役に立つんだろう」と思っていたことが、あとから効いてくる。経験と知識にはレバレッジが効くので、若いうちに貯めておくほど、あとで使える場面が増えます。10代の時間を「勉強に使った」のではなく、「未来の選択肢を仕込んだ」と捉えると、見え方が変わるかもしれません。
同じものを見ても、見えるものが違う
冒頭のコップのお茶の話に戻ります。
知識がなければ「お茶だな」で終わるところが、知識があると:
- 化学を学んだ人は、カテキンの構造や抽出温度による味の違いを思い浮かべる
- 歴史を学んだ人は、茶の湯の文化やシルクロードを通じた伝播を想像する
- 経済学を学んだ人は、静岡の茶産業の構造やサプライチェーンを考える
同じ一杯のお茶が、まったく違う体験になります。これは「勉強しないと損をする」という脅しの話ではなくて、**「勉強すると世界が面白くなる」**というシンプルな話です。
自分が 血糖値を実際に測定してみたときにも実感しました。栄養学の知識がなければ「数値が上がった、下がった」で終わるところが、知識があると「なぜこの食事でこの反応が起きたのか」を考えられる。同じデータでも、見える深さがまったく違いました。
まとめ
なぜ勉強するのか。自分なりの答えはこうです。
- ものの見方が増える → 同じ日常がもっと面白くなる
- 知識はコミュニケーションの言葉になる → 人とつながる力になる
- 経験と知識にはレバレッジが効く → 組み合わせで思わぬ力を発揮する
- 座学だけが勉強じゃない → 体験も旅も対話も、すべてが学び
- 今は不要に見えても、あとから効いてくる → 未来の自分への仕込み
「勉強はつまらないもの」と感じている人は、まだ自分にとって面白い「ものの見方」と出会えていないだけかもしれません。焦らなくていいので、少しだけ視野を広げてみてください。
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