壮絶な10日間のヴィパッサナー瞑想を体験し、刺激の「引き算」の力を知る

壮絶な10日間のヴィパッサナー瞑想を体験し、刺激の「引き算」の力を知る

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2025年12月、自分は10日間のヴィパッサナー瞑想コースに参加しました。

言葉を交わさず、スマホも触らず、本も読まず、ただ座って自分の内側と向き合う10日間。そこで見えたのは、日常で刺激にさらされていたことでした。

この記事では、10日間の瞑想合宿での体験の様子と、そこから見えてきた日常生活への活かし方「引き算の大切さ」を、ありのままに書きます。


ヴィパッサナー瞑想とは

今回自分が参加した合宿で行われる「ヴィパッサナー瞑想」とは、約2500年前にブッダによって発見されたとされる瞑想法です。「観察する」という意味で、心の内側を観察する洞察瞑想でもあります。

瞑想と聞くとつい「怪しい」とか「宗教」と考えられてしまいますが、仏教色は強いもの宗教や信仰に関係なく、誰でも実践可能な方法とされており、自分の心と身体に気づき続ける修行法です。

ヴィパッサナー瞑想合宿

そんなヴィパッサナー瞑想を広めるための日本ヴィパッサナー協会という協会があり、ヴィパッサナー瞑想合宿を開催しています。

合宿のコースはS.N.ゴエンカ氏というミャンマー出身の在家指導者が作成したもので、世界各国に瞑想センターがいくつも設立されています。日本では京都と千葉にセンターがあります。

合宿のコースは協会への寄付で運営されているため参加費はかからずに10日間の宿泊場所と食事とコースを提供してもらえ、参加者は終了後に寄付をすることができます。

合宿中はシーラという5つのルールがあり、不殺生(生き物を殺さない)、不偸盗(盗まない)、不邪淫(不適切な性行為をしない)、不妄語(嘘をつかない)、不飲酒(酒を飲まない)という5つを守ります。

食事の制限

不殺生(生き物を殺さない)を守るために食事では肉や魚は出ず、野菜と穀物の食事になります。
夕方にはティータイムの時間が設定されているのですがそこでは夕食はでず、新規の参加者はバナナ1本くらいのフルーツだけが提供されます。

他の参加者と話すことの禁止(聖なる沈黙)

コースの開始から10日目の午前中まで、他の参加者と話すことが禁じられます。(「聖なる沈黙」と呼ばれています)
口頭での会話だけでなく、アイコンタクトや身振り手振りのジェスチャーまで他人との一切のコミュニケーションは禁じられます。これは不妄語(嘘をつかない)という戒律を守るために禁じられているのです。

例外として、既述の指導者との面談や、コースマネージャとのコミュニケーションのみ許されていますが、基本的にはずっと黙々と瞑想したり生活することになります。

男女の分離と身体の接触

男性と女性は完全に生活空間が分離されているため、期間中はかかわることがありません。
瞑想ホールは共通ですが、それ以外で生活圏をまたいで反対側に侵入することは禁止されます。

宗教行事の禁止

宗教儀式や祭式、その他の瞑想法やヨーガなどが禁止です。祈祷、礼拝、または宗教儀式(断食、お香を炊く、数珠の使用、マントラを唱える、歌や踊り)は一切行うことを禁じています。これは他の修行法や瞑想法と混同することで、ヴィパッサナー瞑想の効果をただしく判定できなくなるからです。

運動の禁止

筋トレやランニングなどの運動も禁止。施設内での散歩や軽いストレッチぐらいは可能です。

音楽、読書、筆記の禁止

音楽、読書のみならず、何かをメモするなどの行為も禁止されます。加えて、生活必需品以外のものはコース受付時にすべて預け、コース終了日まで手にすることができません。

ヴィパッサナー瞑想合宿に参加しようと思った理由

この合宿に参加する前からヴィパッサナー瞑想を知ってはいました。

最初に耳にしたのはメンタリストDaiGo氏の動画だったと思います。
少し前から流行っている「マインドフルネス」や「瞑想」と言われるときにはヴィパッサナー瞑想を指すことが多いのではないでしょうか。

しかし、言葉自体は知っていましたが、合宿があるというのは最近まで知りませんでした。
サハラマラソンに一緒に出場した仲間と帰国後に話していた際に、その人が参加したことがあるというのを聞いて興味を持ちました。

10日間のとても過酷な日々ではあるが、良い体験だったという話を聞き、時間ができたタイミングで参加してみることにしたのです。

千葉のダンマーディッチャにおける参加

自分が参加を申し込んだのは千葉県にあるダンマーディッチャという場所です。

東京駅から総武線の快速を使って2時間ほど。そこからバスで10分ほど移動し、あとは施設の方が車で迎えに来てくれます。

森の中に位置する場所で市街からは離れており、とても自然豊かで静かな場所でした。当然近くにコンビニなどはありません。スマホの電波は圏外になることもあります。

自分が参加したのは12月だったことに加えて、森の中で拓かれた土地のため平地よりも日照時間が短く、だいたい日光が差し込むのが朝の8時頃、日が沈むのが17時くらいでした。

宿泊棟、瞑想ホール、シャワーやトイレ、食堂の4つの棟があり、それぞれの棟の移動は一度土足に履き替えて外に出る必要があります。

棟がいくつも別れています

宿泊棟もいくつかあり、場所によって設備は少しだけ変わります。病室のようにカーテンだけで仕切られている棟もあれば、個室ブース(壁あり)、トイレ・シャワー付き個室もあります。

シャワーとトイレには電気設備やボイラーがあったため、ほぼ野外で屋根だけあるような環境でしたが熱いお湯が出たのと、温水洗浄便座だったのと、ドライヤーや湯たんぽもあったので快適ではありました。

男女それぞれ30人ずつ収容可能とのことで、実際に自分が参加した回でも合計50人程度が参加していたと思います。

2ヶ月ほど前からコースの申込みが始まり、埋まってしまうことも多いようです。

ヴィパッサナー瞑想合宿の持ち物

合宿にあたり持っていったものは以下の通りです。

  • 寝具(掛け布団用と敷き布団用シーツ、枕カバーの三点)

  • 10日分の着替え
    →施設では脱水機しか使えないので、選択する場合は基本的に手洗いです。下着だけ大量に持っていき、パーカーとズボンは使いまわしました)

  • 寝巻き
    →基本的には着回しだったので、寝る間は別の服にしました

  • バスタオル
    →速乾・吸水性の高いものを持参しました。濡れているものは部屋に干せなかったので外に干すしかなく、雨の日は大変です。

  • 石鹸・シャンプー、洗面道具、歯ブラシセット
    →個人的に洗顔やシャワーなどは休憩時間のリフレッシュとしてよかったです。


  • →10日間のうち2日ほど雨が降りました。食堂やトイレが少し離れているのであると良いです

  • サンダル x 2
    →棟同士の移動のためにつっかけるものがとても便利です。もう一つは食堂の中で使うため。素足や靴下でも良いですが寒いと思います。

  • ヘッドライト
    →棟の間には簡易的なライトがあるので、全く見えないことはないのですが、それでも暗いときに足元が見えると良いです。首から下げておけます。

  • ティッシュペーパー
    →箱ティッシュを持参してよかったです

  • ビニール袋 数枚 (各自の部屋やスペースにはのゴミ箱がないため一時的に入れておく場所として、またお風呂セットのために数枚あると何かと便利でした)

  • 水筒
    →飲み物は原則食事の時間のみ提供のため、次の食事かティータイムの時間までは自分の水筒に入れた水で過ごします。自分は500mlサイズのものを持っていきましたが足りないと思うことはありませんでした。衛生上の観点から?コップ付きのものか、給湯ポットの注ぎ口に触れない広口のものという制約があり、ペットボトル不可です。

  • 瞑想用座布団に掛ける布 2枚(60×60×5の座布団 を十分に覆える無地の布(黒、赤、華美な色は不可))
    →これはちゃんとあったほうが良いです。また、人によってはクッションを持参している人もいたように思いました。

  • 瞑想時の防寒対策(体が覆えるサイズの厚手のショールあるいは毛布、衣服、手袋、帽子)
    →瞑想ホールは休憩時間は換気されるため、寒いです。また明け方と夜も冷えるので、自分は通常の毛布を1枚持っていきました。とても助かりました。手袋や帽子は一応持っていったのですが自分は使いませんでした。

  • 時計
    →置き時計と腕時計を2つ。アラームや時報は切っておきます。

10日間の日常:刺激を一切断つ環境

一日のスケジュールは以下のようになっていて、瞑想と食事のみ。まったくの娯楽や刺激がありません。

  • 4:00 起床

  • 4:30 瞑想開始

  • 6:30 朝食

  • 8:00 瞑想開始

  • 11:00 昼食

  • 13:00 瞑想

  • 17:00 ティータイム

  • 18:00 瞑想

  • 19:00 講話

  • 21:00 終了

朝の8:00、昼の14:30、夜の20:00からグループ瞑想の時間がセットされていて全員が1時間ホールで瞑想をし、その他の時間はホールまたは各自の部屋で行います。

食事は菜食で、朝はご飯と野菜と汁物。昼はご飯とメインと野菜と汁物。夜はなし(フルーツ)。自分で盛り付け、使った食器は自分で洗うところまでやります。

薄味のため調味料はあったのと、飲み物はインスタントコーヒーや紅茶、牛乳や豆乳は提供されました。

0日目:ダンマーディッチャ到着

コースが始まる前日の夕方に集合になります。
自分の頭の中は、いっぱいいっぱいです。10日間も連絡がつかなくなるため仕事を調整したり、知人や家族に連絡しておいたり、さらには忘れ物がないか、など確認することがたくさんでバタバタのまま千葉まで向かいます。

合宿期間は絶対に暇だと思う。暇すぎて気が狂ったりはしないだろうか?
瞑想した先になにか精神世界?みたいなもの見えるだろうか?無事に帰ってこれるだろうか?など不安に思うこともたくさんありました。

10日間もの間、社会から離れることもそうですし、その間に新しいインプットが全くなくなるということも経験したことがありません。

サハラマラソンも過酷でしたが、仲間がいたり、毎日コースが違ったり、やりがいがあったりと達成感や楽しさがありました。
果たして、ヴィパッサナー瞑想の合宿も無事に終えられるだろうか?
そんなことを考えながら、ダンマーディッチャに向かいます。

電車からバス、そして施設のバンに乗り込み東京駅から2時間半ほどで到着。

受付の後に夕食が提供してもらえました。食堂には学校給食のような大きな炊飯器と鍋が見えたため、最初自分はカレーが献立だと思いました。

「なんだ、食事は意外と豪華じゃないか。これなら10日間意外に大丈夫かもしれない」

そんなことを思っていたら、実際は献立はカレーでなくて野菜のスープでした。

「これから始まるのはただの合宿ではなくて、修行なのだ。」そう実感し、心のスイッチが少し切り替わった瞬間でした。(カレーは3日目くらいに出ました)

1日目〜2日目:心は暴れ牛のように

最初の3日間はヴィパッサナー瞑想に入るための準備として、まずは呼吸や上唇の上を呼吸が通る感覚に集中する練習から始めます。

しかし、これがなかなか難しいのです。

呼吸に集中しようと思っても、残してきた仕事のことが、頭から離れません。また、最近観たNetflixやYouTubeのことも浮かんできます。
見かけただけで気にもとめていなかったXのポストが思い出されて頭から離れないなんてこともありました。

最近見たもの、聞いたこと、感じたこと、経験したことなどが頭に浮かんできて意識が持っていかれてしまいます。
加えて、慣れない姿勢で座っているのもつらかったです。体が硬くて姿勢が安定しなかったり、足や背中が痛くなってしまい呼吸に集中できません。

さらには時間が全く進まないのです。あれやこれやいろんなことが思い浮かんで、そのたびに呼吸に意識を戻すということを何度繰り返しても30分も経っていない。
ようやく1時間座っていたとしても、またすぐに2時間、3時間の瞑想の時間がやってくる。

「これがあと10日も続くのか」
1日目の夕方、ディータイムのあとの休憩時間に一人こんなことを考えてしまい、悲しい気持ちになりました。
なんとか1日目を終えても、また翌朝の4:30からの瞑想が始まります。

いつもよりかなり早い起床だったのと、空腹で力が入らずに集中できなかったこともあり、
「この時間があれば映画が何本見れるんだろう」
「読みたかった本が読めるだろう」
「海外を旅することだってできる」
「10日間という貴重な時間を、こんなもののために使って良かったのだろうか?ほかの有意義な使い方にしたほうが良かったのではないか」
湧いてくる嫌悪感と悠久の時間を感じて、合宿を逃げ出したくなりました。

「やっぱりやめます。違いました。」

マネージャーに打ち明けてみようと瞑想中に思ったほどだったのですが、その後に朝ごはんを食べて少し元気が出たのと、太陽の光が気持ちよく元気をもらい思いとどまりました。

3日目〜4日目:心地よさが、少しずつ

不思議なもので、そのまま生活しているとだんだんと身体と心が順応してきました。

あれだけ気にしていた仕事も「今はスマホやパソコンがないので考えても仕方がないことだ」と思うようになり、瞑想の時間に思い浮かんでくる雑念も、徐々に減って行きました。身体も少しずつ座るのに馴染んできて、自分のしっくり来る座り方ができるようになってきます。

瞑想のたびに「次はこれを試して、どれだけ座れるかやってみよう」という目標ができたのでトライする楽しみを感じるときすらあるほどでした。

昨日逃げ出したくなった理由もよく考えてみると、

  • ご飯が食べたい?
    →いや、ここでのご飯は菜食で健康的だ。しかも自分でよそうので量が少ないということもない。

  • カフェに行きたい?
    →インスタントコーヒーだけど食事とティータイムのときには飲めているし、ゆっくりする時間もある。

  • 寝たい?休みたい?
    →休み時間もあるし、センターは自然が多い穏やかなところです。自然の中でリフレッシュしているようなものでした。

実はこの環境のの良いところも見えてきたのです。

苦痛に感じていた10日間という時間の長さについても「瞑想に目標はなくて、ただ、あるがままでいればいいのかもしれない。何もしなくても時間は過ぎていく。」と思考を変えたことで、肩の力が抜けて安らかになりました。

こうして気が抜けた4日目になると身体もほとんど慣れ、自分の中でしっくりくる瞑想状態に入ることができたような感覚を得ました。

5日目〜6日目:幸せと苦しみの両面

しかし、4日目から本格的にヴィパッサナー瞑想の修行が始まり、瞑想の負荷が1段階上がります。

「アディッターナ」と言われる、

  • 瞑想中は目を開けない

  • 手を拓かない

  • 足を組み替えない

という3つの決意をしないといけません。

最初に比べたら瞑想の姿勢に慣れたとはいえ、1時間も長時間同じ体勢でいると背中や足に痛みが出てきます。

ヴィパッサナーではこの痛みを平静に観察するように教えられます。自分の身体がいたいということをただ観察し、反応しないようにするのです。そうすると自然と反応がなくなっていく、と。

とはいえ、痛いものを観察するのはそれだけでエネルギーを使いますし、痛いものは痛いです。笑
これまでの、ただ「いる」だけの生活にメリハリはできたのですが、その分きつい時間に対しての嫌悪の気持ちが出てきます。

6日目くらいになると折り返しです。「ようやくここまでこれた」という思いと同時に、この大変な瞑想をまだあと5日も続けないといけない。という絶望に近い気持ちにもなりました。

しかし、そんな生活も続けているうちにかなり順応してきます。
日々の刺激がまったくない空間。毎朝起きたときに、基本の変化を温度計の数値や天気予報ではなくて自分の身体で感じたり、空を見て予想する感覚。

日中は太陽の光があたりを照らし、鳥の鳴き声の中でゆっくり呼吸できる環境。その平穏さに安らぎを感じ、宮沢賢治『注文の多い料理店』の冒頭が思い出されました。

わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃ももいろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
 またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗らしゃや、宝石いりのきものに、かわっているのをたびたび見ました。
 わたくしは、そういうきれいなたべものやきものをすきです。

『注文の多い料理店』序
宮沢賢治

最終日は雨だったので暗いですが、晴れていればとても穏やかな場所でした

たとえ外部からの刺激がなくても、むしろ無い方がここまで満たされているのかもしれない、とそんなことを考えました。
新しい刺激がなくても自分のこれまでの経験や見たものから思考はできるし、むしろ頭はクリアになっている感覚すらありました。瞑想していて考えてないのにふとアイデアが思い浮かぶということもありました。

7日目〜8日目:ドーパミンについて、深く考える

7日目になると、感覚が研ぎ澄まされているのを感じます。

瞑想中には、自分の身体の位置や構造、衣服が触れている箇所や痛みやしびれ、かゆみについて詳細な場所がわかるようになる。だんだんと足が痺れてくるのがわかったり、痛みに変わるのがわかったり、呼吸による少しの身体の姿勢の変化で痛みやしびれ、血流が変わるのがわかっていきます。

生活に対してのストレスも感じていたのですが、「この刺激がない環境の中で一体何が一番ストレスになっているのだろう」と考えたり分析したりしました。

1つには「行動を制限されている」という不自由さそのもの、あるいは、刺激のなさすぎることなのかもしれません。
日々の生活で当たり前のようにできてる、コンビニに買い物にいったり、好きなときに好きなものを食べたりすることが恵まれていたことなんだと思ったりもしました。

8日目になると、帰りのことが頭によぎるようになります。いよいよあと3日。終わりが見えてくるのです。
終わりが見えるとそれを心の支えに頑張れるかと思いきや、これが一番辛かったです。

中盤までであれば、終わりのことはまだ先だ、と割り切って何も考えず生活に集中できていたのですが、終わりが見えたことで、

「帰りはどうやって帰るのだろうか?」
「終わりの瞬間は何を感じるのだろうか?」
「どんな流れで終わりになるのだろうか?」

そういった気持や雑念が湧いてきます。もうすぐにでも終わりたくなって、残りの期間を過ごすのが嫌になっても来るのです。

「どうせ何をしてもすぐ終わるのだから、手を抜いてもよいのではないか?」と思ったりもしましたが、すぐに思い直しました。

自分は少し飽き性なところがあります。ここ最近は日々の生活でも無自覚でしたが、集中力があまり続いていなかったようにも感じられます。

瞑想に集中したり意識をコントロールすることで帰ってからの生活でこの期間を少しでも活かせるように訓練してみよう。もうちょっとだけなのだから手を抜かずに頑張ってみよう。

そう気持ちを新たにしました。
瞑想中につい集中が切れたり緩んでいるのを感じたら、そのままにせずにたとえすぐにまた途切れてしまうことにしても、何度でも意識を瞑想に戻します。

集中力が切れても、何度でも復活すればいい。諦めないことです。そんな意識のトレーニングとして時間を使うようにしてみました。

9日目〜10日目:最後の試練と、再会の喜び

初日の次に本当に大変だったのは9日目です。

合宿に行く前にも8日目や9日目にはここまでの生活の蓄積で身体や頭が疲れていてしんどいだろうとは思っていたのですが、実際のしんどさは少し違っていました。

それまでの生活の蓄積というよりも、解放される日や終わりの日が身近に感じられるようになってしまったので、頭の中に思考が始まってしまうのです。

「帰ったらなにをしようか」
「お肉が食べたい」
「何時に帰れるだろうか」

しかし、終わりについて想像はできるものの、9日目の段階ではまだあと2日ほど残っています。

その9日目の夜の瞑想は壮絶なものでした。

翌日10日目は最終日ということもあり、沈黙の中で瞑想するのは実質的に9日目が最後です。

最後であることから何があっても座り切ることや集中力を保つ(切れても戻す)ことを決意しますが、今回も左脚がしびれてから、徐々に痛みに変わっていきます。
呼吸をすると動く自分の身体の痛みに合わせて、足の痛みが生じたり変化するのをただただ観察します。

観察していると消えていく痛みもあれば、まだ残るものもあります。

だんだんと姿勢の維持も大変になっていったり、自分の真っ直ぐな姿勢がどうであったか、頭や首の位置、背骨の角度、骨盤の力み具合の初期位置がどこにあったかだんだんとわからなくなってきたり、だんだんと自分の身体が少し浮いているような感覚になったりします。

姿勢を直そう、もとの位置に戻そうと探しているうち、足の痛みが増したりする。しかし、どんなに痛みが増しても今回だけは絶対に姿勢を変えないぞ。

強い決意で観測し続けます。

そのときに、これまでの瞑想で経験したことがない激痛の感覚が一瞬きました。自分の左の足の付根から中指の先まで、赤い閃光がほとばしった感覚を観ました。

「わ、これはやばい。すさまじい。さすがに足を解かないとやばいかも。。」

と衝撃を感じたのと、瞑想終了の1時間の終わりを告げる音が聞こえ始めたのが同時でした。瞑想に良いも悪いもないのですが、終わった瞬間はほっとした清々しいものがありました。

10日目になると聖なる沈黙が解かれ、人と話す許可が出ます。

これまで9日間溜まっていた感情や思い、感覚をものを他の参加者と色々と話しました。
人と話したり、意見を交換したりするのが「こんなに楽しいことだったんだっけ?」と感じました。

これまでは食堂や休憩時間、宿泊棟で顔を見るだけだったので「怖そう」とか「何を考えているかわからない」と思っている人が実際に話してみると気さくだったり、自分の同じような背景を持っていたりするのを知ると「心の距離」が近づくのを感じました。

同時に、人と話すということがどれだけ刺激となっているかも感じました。
10日目も瞑想の時間はありましたが、これまで通りの集中が難しくなったのです。

「あの人はこんな人だったんだ」
「この質問をすればよかった」
「この人とも話してみたい」

そんな雑念が頭の中に浮かんでくる、初日と同じ状態です。
10日目はかなり気持ちもリラックスし、施設全体の雰囲気もかなり柔らかくなって時間が過ぎていきました。

11日目:帰宅

11日目の朝にすべてのコースが完了し、そこから片付けをしてから帰宅になります。

10日間もの間センターの敷地内にいたので、街に出たときに電車やバス、家や道路でさえもなにか新鮮な気持ちになりました。

カフェや飲食店があって、お金を出せば好きなものを飲んだり食べたりする自由を味わいながら帰宅しました。

合宿に向かう行きの電車の中で「帰って真っ先にしたくなることは何だろうか」と考えたときに肉かカレー(味が濃いもの)が食べたくなるのではないかと思っていたのですが、実際には「お風呂に入ってゆっくりしたい」でした。(お肉や魚も食べたくなりましたが、それよりも身体の疲労が溜まっていたようです)

ヴィパッサナー瞑想での気づき:ドーパミンに支配されていた日常

今回の合宿に参加してみて一番大きかったのは日々の生活での刺激がいかに多いかに気づいたとです。

普段の生活での刺激は自分の身体に対して過剰

合宿の最初の数日は雑念が抜けず、瞑想中も次々に最近経験した過去の場面が思い浮かんできました。

意識しているわけでもない場面や、何気なく見たものでも浮かんでくるということは、自分では無自覚なことでも、無意識下ではここまで気にしてたり実は印象に残っているということなのだろうと思います。

現代に生きる自分達が一生のうちに摂取する情報の量は平安時代の一生分に相当するというデータがあるようです。
加えてAI時代に突入する今、日々摂取する情報は更に増えていると思います。

他方で、生物学的な(遺伝子的な)変化は約7万年前から変わっていません。

自分たちの脳が日々入ってくる多量な情報を処理しきれていないということをこの合宿の期間の中で体験しました。
たとえ自分が意図的に情報を取捨選択できているという自覚があっても、きっと見たものや聞いたことのうち、無意識で捨てきれていないものもたくさんあるのだと思います。

合宿期間の後半では新しい刺激がなくなると同時に、生活していての身体の感覚、つまりシャワーやトイレ、歯磨き、味わって食べることなどの日常の動作中に感じる感覚に気づくことができるようになりました。

たとえながらスマホやポッドキャストを聞いていなかったとしても自分達の頭は身体からの刺激を感じているのです。
日常生活ではこれに加えて色々な情報を入れていたとすると、脳への負担はかなり大きいのだと思います。

感覚以外にも、例えば合宿からの帰り方を考えるだけでも、何分も思考が頭を占拠します。1つのことだけでもそうなのに、普段の生活で考えなければいけないことがたくさんあったら、もう頭の中に思考を働かせる余白は残っていないように感じました。

実践知の大切さ

現代生活では刺激が多い、ということは特段新しい知見ではありません。これまでも色々なところで聞いたことがあります。

ただ、今回の合宿中に実践の体験として感じられたことは多いと思いました。

今回の合宿でのヴィパッサナー瞑想についても、やり方そのものはそこまで難しいものではありませんし、実際に合宿に来る前から知っていたものもありました。しかし今回のコースの主催の狙いとしても実際にセンターに来て10日間瞑想することで理論だけでなく体感として、智慧として身につけさせるという狙いがあるように、何かをの考え方や概念を学ぶことに対しての

知っている→理解できる→体験している

というこの3つの段階を経ることの大切さを改めて感じました。本当に理解した状態というのは実践できる状態であるということです。

意識をコントロールする感覚

もう一つ、自分の意識をメタ認知するという感覚を瞑想中に感じました。

瞑想中は自分が呼吸や身体の感覚に集中します。自分の呼吸や身体の感覚を客観的に観察し続けますが、どうじに「自分が自分の呼吸や身体の感覚を客観的に観察し続けているか」も客観的に観察していました。

そのうえで「集中できていないな」と思えばもう一度意識を戻したり、なにか雑念に囚われていたら背筋を伸ばしたりということを繰り返していました。

普段は自分の意識が自分の身体ややることをコントロールしていますが、その意識そのものをコントロールできるのだということに気づきました。

心と身体のつながり

そして最後は、心と身体のつながりです。

意識をコントロールするにしても、それができるときとできないときがあります。

自分の意識をどう扱うかは意志の問題なのかと思っていたのですが、集中したり、平穏でいたりという心の状態を保つためには身体が大きく関わっていると感じました。

例えば毎朝の空腹の状態ではどれだけ意志の力を持っていても集中できなかったり、姿勢が悪いと眠気がやってきてついうとうとしてしまいます。

「集中できない」という問題の背景には、自分の意志の問題もありますがそれよりも手前に身体を整えることから始めないといけません。

余談ではありますがここ最近、意識的に糖質の量を少し減らして、血糖値の乱高下をフラットにすることを気をつけていました。

はじめはウルトラマラソンを走るときのエネルギー効率を上げるために始めたことですが、日常のパフォーマンスにも効きそうだったため継続していました。
これが原因かわかりませんが、今回も合宿中もそこまでご飯を大量に食べる必要なく、血糖値の乱高下による眠気や集中力の途切れ、イライラ等はなかったです。食事について困ったことはありませんでした。


日常生活において「引くこと」も大事にする

忙しくやることがとても多い生活の中で、全てをやりきるには分単位でタスクや時間を管理することが必要だと思ってました。

そして高いアウトプットを出すためには大量のインプットが必要だとも思っていました。こうした足し算も必要なのだとは思いますが、今回の合宿で「引き算の力」を自分は少し低く見積もりすぎていたかもしれないと学びました。

刺激がない合宿中のほうが色々なアイデアを思いついたり、何かを考える際にも筋道を見失わずに論理を構築できる感覚がありました。

日常の中で最も刺激があるものはやはりスマホかなと思っています。
合宿前を振り返ってみると常に手にはスマホを持っていて、SNSやメール、メッセージツールを自らフェッチして最新化して進んで情報を取りに行っていました。

それが必要な場面もありましたが、不要な場面も会ったように思います。
そうしてフェッチしたり、スマホを見たときに目に入る通知などの不要な情報が自分の脳の体力を知らない間に奪っていたのではないかと思います。

さらにそれは刺激となり、また新しい刺激を求めてずっとスマホを見てしまうのです。

今回も10日間が終わりスマホを観た瞬間に、脳が観ただけで刺激を受けた感覚がありました。

現代でスマホを全く観ないことや使わないことは難しいにしろ、SNSなどのアプリに制限をかけたり、集中モードで通知を減らしたりと、日々の生活のからノイズを意識的に減らしていこう、そう思いました。


この記事は、2025年12月に参加した10日間のヴィパッサナー瞑想コースの体験記です。

#ヴィパッサナー瞑想 #ドーパミン #デジタルデトックス #体験記 #マインドフルネス

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