夕日の滝で人生初の滝行を体験してきた

夕日の滝で人生初の滝行を体験してきた

7分で読める カルチャー
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2026年1月11日、神奈川県南足柄市にある「夕日の滝」で、人生初の滝行を体験してきました。

サハラマラソンの仲間に誘われて参加したのですが、「悪いことしてるので、年に1回くらいは禊をした方が良い」という言葉に、確かにそうかもしれないと思ったのがきっかけです。

結論から言えば、いままでで一番しんどかった極限体験だったように思います。記録も兼ねて、滝行がどんな体験だったのかを振り返ってみようと思います。


夕日の滝とは

夕日の滝は、神奈川県南足柄市に位置する落差23メートル、幅5メートルの美しい滝です。金太郎が産湯を使った場所として伝えられています。

この滝では、心身を清める修行法として滝行が行われています。普賢光明寺では30年以上にわたり滝修行を実施しており、初心者でも参加できる体験プログラムもあります。


滝行体験の基本情報

夕日の滝での滝行体験は、初心者でも参加可能なプログラムとして提供されています。

アクセス

公共交通機関の場合:
小田急線「新松田駅」から伊豆箱根鉄道大雄山線に乗り換え、「大雄山駅」で下車。その後、箱根登山バス地蔵堂行きに乗車し、終点「地蔵堂」下車後、徒歩約15分。

車の場合:
東名高速道路「大井松田IC」から県道78号線を経由し、約25分。「夕日の滝」滝下駐車場(無料、約33台収容)を利用できます。

注意点

  • 12歳以上の方が対象

  • 未成年者は保護者の同意が必要

  • 予約は公式サイトから事前に行う必要あり

料金や定員、予約については下記の公式サイトをご確認ください。


待ち時間で気持ちがどんどん嫌になっていく

当日は1月の頭にも関わらず暖かい日でした。極寒時は水温0度にもなるという話だったので、少し安心しながら、車で都内から90分くらいで滝に到着します。

高速道路を降りると、市街地から離れてコンビニや民家もないような山奥へ移動します。

10:30に集合し、そこから着替えたり説明を聞いたり、その他儀式をしたりなどしてから実際に滝の中に入ります。

空手道着は追加料金なしでレンタル、そしてふんどしを1,000円で購入しました。

駐車場と着替える場所から滝までは徒歩で5分くらい歩くため、道着の上にダウンジャケットを羽織って移動します。
滝は周囲が山に囲まれているため、外に出ると日陰も多く寒いです。1月の山奥なので当たり前ですね。

説明や儀式の時間や、他の人の滝行を待っている間に、どんどん嫌になってきます。寒いし、帰りたくなります。


いよいよ入水

自分たちの順番が来ると、いよいよ上着を脱いで極寒です。
身を塩と酒で清めてから、滝壺へと入ります。

基本的に服装は自由なようで、道着を着たままでもよし、脱いでふんどしだけでもよし、上裸でも良いようです。

滝に打たれる時間は1分半。1分入り、その後に一度合図があって、更に30秒続けるかどうかの確認がされるので選べるとのことでした。

濡れたまま駐車場までの帰り道が意外と寒いという話を聞いたのと、せっかくやるのであれば、とふんどし一丁で入ることにしました。

サウナの後の水風呂などでは、だんだんと身体が慣れることも多いです。

「外で風に当たるよりも、水の中に入ってしまったほうが意外と寒さに耐えられるのでは?」

そう思ったのは、水に入る直前までのことでした。実際に入ると、辛かったです。足から入りましたが、だんだんと感覚がなくなっていきます。

滝に当たり、息ができない

その後、水に身体を慣らしたら、ガイドに従って、滝の下の位置に着きます。

「針のような痛みがあります」という説明があったのですが、針どころではなくて台風の中にいるようでした。勢いがすごすぎて、息ができません。

23メートルの落差から落ちてくる水の圧力は、頭から全身に伝わります。これは、ただ冷たい水に浸かるのとは次元が違いました。

8人程度で一緒に入り、みんなで合わせて声を出していたのですが、だんだんと自分の肺がしぼむ感じで、声が出なくなっていきます。

さらには勢いがすごいため目に水が入り、目を開けることができません。目を瞑っていたので、意識が遠のいていく感覚がありました。周りの声も聞こえなくなります。自分の声も、だんだん弱まっていきます。

「これきついな、やばい」

そう思いながら、ただ耐えていました。1分が、果てしなく長く感じられました。

「はい、おわりです」と声がかかると同時に滝から出ていました。


もう一度、戻る

「せっかく来たからには、1分30秒フルでやる!」

滝行をする前にはそう意気込んでいた全員が、終わった瞬間に一目散に岸辺に向かっていました。

自分もこのまま続けたらやばそうな感覚があったので、あとを追って進んでいたのですが、一瞬考えます。

意外と滝から一歩出てみると、身体はそこまで寒くなくて、しんどさがどこかへ行ってしまった感じがありました。

「これはもう一回やるかどうか」を少し考えて、できるところまでやろう!
、と引き返して少しだけ滝に打たれました。

しかし、やはりすぐにまた限界が来たので、すぐ出ました。無理は禁物ですね。


終わった後:身体が生きていくモードに入った

滝行を終えた後は身体の感覚が最初はないため、寒さや痛さも感じません。

しかし、すぐに感覚が戻ってきます。寒さ、痛さ、そして手足の動きの鈍さを感じ、ただただ温まりたいという欲求に襲われます。

極限レベルでいうと、サハラやヴィパッサナー瞑想よりも個人的には上回っていたと思います。

叫んだり、体温の維持に体力をもって行かれ、とても疲れた気持ちが9割、残りの1割でスッキリした気持ちはありました。

禊いだり、生まれ変わったような気持ちは今回は体験することはできませんでした。

とはいえ、改めて考えると滝行の時間中、身体が「生きていくモード」に入っていたのだと思います。
昔から生きてきているヒトとしては、天敵が来たり、何かトラブルがあったときに入るこのようなモードがあるのだと思います。

しかし、現代の日常生活においては、ありがたくもなかなかこれを使うことはありません。

ときにこうした経験を入れることで、身体が本来のポテンシャルを出せるようになるのかもしれない、とそんなことをふと思いました。

また同行したサハラの仲間が「嫌なことやらなきゃね」と言っていたのも印象的でした。

たしかに、自由な時間があれば自分たちは好きなことをやります。しかし、あえて嫌なことをやらないと自分の可能性や経験は増えていかないな、と妙に納得してしまいました。


まとめ:嫌なことをやる価値

「悪いことしてるので、年に1回くらいは禊をした方が良い」

その言葉通り、年に1回、自分を律する体験をすることは必要なことなのかもしれません。
時折、極限の状態を経験することで、身体を「生きていくモード」に切り替えて日々の感覚をリセットしていく。

サハラマラソンも、ヴィパッサナー瞑想も、そして今回の滝行も。極限体験は、自分を知る機会になると感じました。

来年も行くかどうかはわかりませんが、良い年の始まりになりました。

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