
生きてる意味がわからない高校生へ——受験期に悩み抜いて出した結論
あなたはどうして生きているんですか?
唐突な問いですが、一度くらいは考えたことがあると思います。自分は高校生のときにひたすら考えました。答えを出せないまま何日も過ごしたこともあります。
同じように悩んでいる人の何かになればと思い、当時の記録を書きます。
「幸せになるために生きている」という仮説
考え始めたのは高校3年の受験期でした。毎日勉強とストレスに追われていたとき、ふと「こんなに大変な思いをしてまで、どうして生きているんだろう」と思ったのです。
しばらく考えて出した答えは「幸せになるため」でした。いい大学に入り、いい会社に就職すれば幸せになれる、と。
ところがすぐに次の問いが来ました。「では、幸せとは何か?」
お金を持つこと?仕事ができること?家族がいること?——考えれば考えるほど答えが出ず、受験勉強どころではなくなりました。
転機
ある日、中学時代の友人を思い出しました。「あいつも今頃必死に勉強しているんだろうな」と。そして「応援したい」と思いました。
でも、自分は何もしていない。頑張っていない人間が頑張っている人を応援してもしかたない。でも、応援したい。
この「でも応援したい」という気持ちが動機になり、また勉強に戻れました。そのとき思ったのです。
自分のためには頑張れないが、誰かのためなら頑張れる。
そしてその瞬間に気づきました。——自分は既に十分幸せだったのだと。
頑張れば志望大学に行ける環境がある。毎日ご飯が食べられる。思いを寄せられる友人がいる。比較の話ではなく、これだけのものが既にあった。
幸せは解釈だ、と思いました。「ないもの」ではなく「あるもの」を数えると、幸せはすでに身の回りに溢れています。
生きる理由を変えた
それから「幸せになるために生きる」という目標を手放しました。代わりに「今を楽しむ」ことを生きる目的にしました。
この目的はシンプルです。達成できているかどうかが、今この瞬間に確認できます。
- 今楽しいか?
- 今の先の未来を思い浮かべてワクワクするか?
この2つに答えるだけでいい。人生の目的を未来に置くのではなく、今この瞬間に置いた方が、毎日が変わります。
あれから、世界はずっと広かった
これを書いてから何年も経ちました。大学に進み、社会人になってみて、つくづく思います。世界が広がったな、と。高校の教室から見えていた景色は、本当にほんの一部だったのです。会ったことのない種類の人がいて、行ったことのない場所があって、知らなかった選択肢がいくらでもありました。視界が開けるたびに、あの頃あれだけ重かった悩みも、少しずつ形を変えていきました。
正直に言うと、生きてる意味なんて、いまもよくわかりません。高校生のときに出した結論が完璧な答えだったとも思いません。ただ、ひとつだけはっきりしたことがあります。せっかく一度きりの人生なんだから、悔いのないように生きたい、と思うようになったのです。
だから、やってみたいと思ったことには素直に手を出すようになりました。その延長で、サハラ砂漠を自分の足で走るレースにも挑戦しました。砂と熱と疲労しかない世界をひたすら前に進みながら、「こんな無茶でも、やってみればできるんだな」と思えたとき、あの日の教室で抱えていた虚無感は、もうずいぶん遠くにありました。
amaino.me/blog/sahara-marathon-2025-finish-report/
そうやって見てきたもの、感じたことを、自分はこうしてブログに残しています。生きてる意味の答えは結局出せなくても、自分が確かに生きて、どこへ行って、何を見て、何を感じたかという記録は残せます。このサイトはその記録そのものです。いつかまた誰かが、かつての自分と同じ問いの前で立ち止まったとき、この記録が小さな道しるべになればと思っています。
悩んでいる人へ
「生きる意味」を探すことよりも、「今を楽しくすること」の方が先かもしれません。
悩むのは苦しいけれど、悩むこと自体は悪いことではないと思います。悩むのは一生懸命に生きている証拠でもあります。悩んだ分だけ、自分の中に何かが積み重なります。
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