
ブログを書く理由と実感できるメリット——考える・確認する・内省する6つの視点
「なぜブログを書き続けるのか」と聞かれると、一言では答えにくいです。最初は「記録として残したい」という素朴な動機でした。けれど書き続けるうちに、記録以外の理由が少しずつ積み重なってきました。気づけば書くことは、自分にとって思考や生活の一部になっていました。あらためて「書くことのよさ」を整理してみると、大きく7つの視点に分かれます。どれも特別な技術の話ではなく、書き続けた人なら誰でも実感できることだと思います。
書くことは考えること
何かを考えたいとき、結論を待たずに書き始めることがあります。まとめてから書くという方法もありますが、それは「人に伝えるための」構成を整えるときの話です。自分の考えを前に進めたり整理したりするためには、まず書き始める方が向いていると感じています。頭の中で漠然と回っていた問いが、文字にするうちに少しずつ輪郭を持ちはじめる感覚があります。書く前は「なんとなくこう思う」だったものが、書き終える頃には「自分はこう考えている」と言い切れる形になっていることも多いです。考えがまとまってから書くのではなく、書きながら考えがまとまっていく、という順番のほうが自分には合っています。だから完成された考えがなくても、とりあえず書き出してみることに価値があると思っています。手を動かしているうちに、思いがけない方向に考えが伸びていくこともしばしばです。
この感覚を理論として言語化してくれた本として、暦本純一さんの『妄想する頭 思考する手』があります。「アイデアは頭の中で練るより先に手を動かすことで生まれる」という主張で、自分が書くことに感じてきた手応えと重なるところが多かったです。
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書くことは確認すること
あるテーマについて記事を書こうとすると、意外とうまく書けないことに驚きます。自分ではわかっているつもりでも、誰かに伝えるように書くには順序立てて説明しなければなりません。途中で「そもそもなぜそう言えるんだっけ?」と立ち止まることもしばしばです。書くことは、自分がどこまで理解できていて、どこが曖昧なままなのかを客観的に映し出してくれます。理解の穴は、頭の中で考えているうちは見えず、書いてみてはじめて輪郭を現すものだと感じています。「わかる」と「人に説明できる」のあいだには思っているより距離があって、その距離をいちばんはっきり教えてくれるのが、書くという作業でした。
書くことは振り返れる記録になること
そのときに感じていたことを書き残しておけば、後から参照できます。たとえば結果を待っているときの落ち着かない気持ちは、そのときにしか書けません。結果が出てしまった後では、もうその感覚には戻れないのです。後から読み返すと、当時の自分が何に悩み、何を選ぼうとしていたかがそのまま残っていて、いまの判断の手がかりになります。書いておくことは、未来の自分への小さな引き継ぎのようなものだと思います。
書くことは内省のきっかけになること
「何を書けばいいかわからない」という悩みをよく耳にします。自分の答えはシンプルで、そのとき感じたことをそのまま書けばいいと思っています。ただ、それには今の自分が何を考えて何を感じているのか、内側を一度のぞく必要があります。書こうとして初めて、自分の感情や違和感にまだ名前がついていなかったことに気づくこともあります。書く行為そのものが、ふだん流してしまいがちな内側の声に耳を澄ます入口になります。言葉にしてみて初めて「自分はこんなことを気にしていたのか」と知る瞬間は、何度経験しても新鮮です。
書くことは自分を表明すること
書いたものを外に出すと、自分の考えや人となりが少しずつ周りに伝わります。書いた内容に共感した人から連絡をもらうこともあれば、うまく言えなかったことを文章が代わりに伝えてくれることもあります。発信を続けるほど、言葉を通じたつながりが生まれていく実感があります。自分から「こういう人間です」と説明しなくても、書いたものが先に自分を紹介してくれる場面が増えてきました。
書くことは迷いを決定すること
モヤモヤしていることがあれば、まずそれを言語化してみるとよいです。書くことで、その正体がはっきりします。迷っているけれどうまく言えないというときも、一度書き出してみると気持ちが整理されて楽になることが多いです。頭の中で堂々巡りしていたことが、書いた瞬間に「ああ、これだったのか」と落ち着く——その感覚を何度も味わってきました。決めきれない問いほど、書くことが静かに背中を押してくれます。
書くことは、AIに代わられないものを残すこと
最近は、文章を書くこと自体をAIがかなりの精度で肩代わりしてくれるようになりました。それでも——いや、だからこそ、自分が実際に見て感じたことを書き残す価値はむしろ上がっていると感じています。一般論や調べればわかることは、これからますますAIが上手にまとめてくれます。けれど「そのときその場所で、自分が何を感じたか」という一次の記録だけは、自分にしか書けません。後から効いてくるのも、検索やAIの要約では出てこない、その手触りの部分です。書いて残すことは、AIの時代に自分にしか出せない一次ソースを少しずつ積み上げていくことなのだと思います。AIが情報の加工や要約を引き受けてくれる分、「元になる一次体験をどれだけ持っているか」の差がむしろ際立ってきます。書き続けることは、その一次体験を自分の言葉で記録に変える行為でもあります。
こうして並べてみると、7つの視点はきれいに分かれているわけではなく、互いに重なり合っています。考えるために書いたものはそのまま理解の確認になり、内省して書いたものは後から振り返りの記録になります。書くという一つの行為が、場面によって違う顔を見せているだけなのだと思います。
書くことはとても手軽です。紙とペンでも、スマートフォンのメモでもできます。日常的にアウトプットする習慣は、思考の整理としても振り返りの記録としても、続けるほど静かに自分の資産になっていきます。書く理由は一つに絞れなくていいのだと思います。最初からうまく書こうとしなくても大丈夫で、書いているうちに自分なりの理由のほうが後から見つかってきます。今日の自分にとっていちばんしっくりくる理由から、書き始めてみればいいのです。
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