高校3年生のときに「なぜ生きるのか」で詰まった話
高校3年生の11月、入試直前に「なぜ勉強しているのか」という問いで動けなくなった経験があります。3ヶ月ほど悩み続けて出した答えを書きます。
問いが始まったきっかけ
入試が近づいてきたころ、勉強に追われる日々が続いていました。やる気が出ない日・焦り・悪循環。そんなとき、ふと「自分はなぜ勉強しているのか」という問いが浮かびました。
「大学に合格するため」→「いい会社に入るため」→「幸せになるため」——問いを辿っていくと、「幸せとは何か」という問いに行き着き、そこで詰まりました。それ以来、勉強に手がつかなくなりました。
出した答え1:幸せをおすそわけするために生きる
悩んでいる最中、中学時代の同級生と再会しました。その子は自分の目標に向かって辛そうにしながらも勉強を続けていました。
「自分はいいけど、この子の努力が報われてほしい」と思ったとき、はっと気づきました。自分は十分に恵まれた環境にいたのに、それが「当たり前」になっていたのです。
受験できる環境・行きたい大学を目指せる状況——それ自体がすでに幸せでした。その幸せを「おすそわけ」することが、自分が生きることの意味のひとつだと感じました。
出した答え2:楽しいから生きている
悩みが落ち着いてきたとき、「そもそも生きることに理由が必要か」という問いが浮かびました。
「なぜ生きるか」と問うのは、今が楽しくないからではないかと思いました。充実しているときには、生きる理由を探したりしません。
それから、「何かのために生きる」より「今が楽しいかどうか」を判断基準にするようになりました。
悩んで得たもの
就活の軸になった
高校生のときに必死に考えたことが、就活の自己分析で軸として使えました。「自分は何のために働くのか」という問いへの答えが、すでに準備できていたことに気づきました。
本との出会いが深まった
悩んでいたときに救いになったのが本でした。「生きること」「哲学」「ビジネス」といった分野の本を手当たり次第に読み、本から力をもらう体験をしました。それ以来、読書が深い習慣になりました。
まとめ
悩みの中にいるときは辛いですが、その悩み自体は無駄にはなりません。精一杯悩んだ経験が、後になって自分の軸として機能します。
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