サピエンス全史の次に読む本——マーティン・プフナー『物語創世』

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サピエンス全史を読み終えた後、「次は何を読もう」と迷う人に向けて、自分が読んだ中でいちばん近い手触りの一冊を紹介します。マーティン・プフナーの『物語創世』(原題: The Written World)です。

プフナーはハーバード大学の文学者・哲学者で、この本を書いた動機として「これまでの歴史書は出来事ばかりを追い、文学という視点が欠けている」という問題意識を挙げています。そのスタンスは、ユヴァル・ノア・ハラリが認知革命や物語の力を生物学・社会学の文脈で説明したのに対して、文学の側から同じ問いに答えようとするものです。読んでいると、サピエンス全史の「物語」論が別の角度から補完される感覚があります。

テキストが歴史を動かした事例

本書に登場する事例のうち、とくに印象に残ったものをいくつか挙げます。

アレキサンドロス大王はギルガメッシュ叙事詩を愛読していたとされています。英雄の冒険を語る古代メソポタミアの物語が、世界を征服しようとした王の行動原理に影響を与えていた——テキストが政治的な意思決定と地続きだったという事例です。

ブッダ・孔子・ソクラテス・イエスの四人はいずれも自分でテキストを残しませんでした。プフナーはその理由を「文字に書き留めると解釈が固まり、思想が硬直化することを恐れたから」と推測しています。逆説的に、彼らの教えは弟子たちのテキストを通じて伝わり、さまざまな解釈を生んでいきました。

紫式部が源氏物語を書けたのは、漢詩という当時の「正式な」文学を学べなかったからだとプフナーは指摘します。制約がかな文字という独自の表現媒体を生み、そこから世界最初の長編小説の一つが生まれたわけです。

共産党宣言については、「世界でもっとも力を持ったテキスト」という表現が使われています。思想や価値観を書き言葉として流通させることで、社会構造を変えるほどの力を持てる——という主張が、19世紀以降の歴史をたどりながら説明されます。

読んで気づいたこと

読み終えて気づくのは、文学が「暇なときに読むもの」ではなかったということです。むしろ帝国を支え、宗教を広め、革命を動かす媒体として機能してきた。その視点を手に入れると、古典や歴史的な著作物を読むときの解像度が少し変わります。

サピエンス全史が「なぜホモ・サピエンスはここまで来られたのか」を問うとすれば、物語創世は「テキストがその過程でどう機能してきたか」を問います。二冊を並べて読むと、人類史の見え方がかなり立体的になると思います。

ボリュームのある本なので、一気に読むより章ごとに区切って読むのが自分には合っていました。歴史や文明論に関心がある人、あるいはなぜ文学が存在するのかという問いを持っている人に向いている一冊です。

「テキストが歴史を動かした」という視点の広がり

この本を読む前、自分は文学と歴史を別々の棚に分けて考えていました。文学は内面の探求、歴史は出来事の記録——そういうイメージです。プフナーの本はその仕切りを取り払う一冊で、「書かれたものが世界を変える力を持つ」という視点を正面から論じています。

読後に感じた変化は、古典文学を手に取るときの構えが変わったことです。源氏物語や聖書、共産党宣言といったテキストを「時代の文学作品」として鑑賞するだけでなく、「このテキストがどの文脈で書かれ、どんな力を持って広まったか」という問いが自然に浮かぶようになりました。

また、紫式部のエピソードで紹介されていた「制約が新しい表現媒体を生む」という視点も印象に残っています。既存の正式なフォーマットに乗れなかったことが、逆に独自性の源になるというのは、文学に限らず広く通じる観察です。漢詩というフォーマットから排除されていたことが、かな文字による長編小説という世界初の試みにつながった——その逆説は、読んでしばらく頭に残りました。

ハラリの著作が好きで、もっと広い視野で人間の歴史を考えてみたい人に、自信を持って勧められる一冊です。文学的な知識がなくても読み進められる構成になっていて、各章が独立した事例を扱っているので、気になる章から読んでも問題ありません。読んだ後、本棚の古典をもう一度手に取りたくなる、そういう種類の本です。

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