【書評】『サピエンス全史』(ユヴァル・ノア・ハラリ)を読んだ感想。人類の歴史を勉強するのにおすすめの本。

【書評】『サピエンス全史』(ユヴァル・ノア・ハラリ)を読んだ感想。人類の歴史を勉強するのにおすすめの本。

ご覧いだたきありがとうございます!
こんにちは!!金沢で学生をしています、あまねです(^^)

今日はユヴァル・ノア・ハラリさんの『サピエンス全史』を読んだので、その紹介をします。

結論を言いますと、ものすごく面白かったです!!
人類が今までどんな道を歩いてきたのか?
そしてその結果現代がどんな様子になっているのか?
これからどこへ向かおうとしてるのか?

主にそんなことが書いてありました。
今僕は理系の4年生ということで、これから科学の道へ進もうかという段階にいます。
そして出ていく社会がどういう構造になっているかを知れた良い本でした。

ぜひ読むことをおすすめします。

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『サピエンス全史』を読もうと思ったきっかけ

僕が『サピエンス全史』を知ったのは堀江貴文さんの『多動力』の中で紹介されていたからでした。
堀江さんは「これを読むと教養が身につくよ」とおすすめされていました。

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「面白そう!」そう思った僕は学校の図書館で本を借りたのですが、難しすぎて読むことができなかったのです。
そして昨日、再び思い立って読むことに決めました。

『サピエンス全史』の内容

『サピエンス全史』には、僕たちホモ・サピエンスがこの地球上に出現してから今にいたるまでどのような歴史を歩んできたかが、生物学的特性などをもとに研究された結果が書かれています。
ものすごくたくさんの知識量と考察が載っていますので全部は紹介できませんが、ざっと紹介します。

『サピエンス全史』の中には3つの革命が描かれています。
それは、認知革命、農業革命、科学革命です。

ホモ・サピエンスの全ての歴史は「認知革命」から始まります。
人類は思考と、それを他者に伝達する手段を獲得するんです。
それによって他の動物たちと差別化でき、集団で狩りをすること=共同作業ができるようになりました。

続いて起きるのが、農業革命です。
「農業革命」とは、それまで狩猟採集で暮らしていたホモ・サピエンスが、今度は自分たちで食物を管理するようになります。
そして、穀物によってそれを食材を「蓄える」ということができるようになるんですね。
その結果、余剰の食料をめぐり地位ができたり、政治ができたり、経済ができたりしました。
現在の社会の仕組みはこの農業革命によって生まれたわけですね。

最後に、「科学革命」です。
科学というものが体系的に作られたおかげで、私たちはそれに従ってあらゆるものを証明したり、発見した(と信じる)ことができるようになりました。
これが経済や政治、宗教と絡むことで、今のような世界ができてきたわけです。

このような歴史の中で、徐々に現在のシステムが形作られていく過程がこの本には載っています。

『サピエンス全史』を読んだ感想

僕はこの本を読んで、これまで僕は20年ほど生きてきた社会の全体像を掴むことができたように思います!
普段生活している社会のことを勉強しようと思っても、経済学を学んだり、社会学を学んだり、科学を学んだり、人間の特性を学んだりと、とてもたくさんのことを勉強しなければいけません。

でも、この本1冊で概要を掴むことができました!
そしてこの社会の概要を掴めた方が、優位に動くことができそうですよね。
あとはこの知識をどう使っていくかが大切かと思いますが、とてもいい本を読んだという感想です。

『サピエンス全史』より心に響いた言葉

たいていの場所でたいていのとき、狩猟採集で手に入る食物からは理想的な栄養が得られた。これは意外ではない。何十年にもわたってそれが人間の常食であり、人類の身体はそれに十分適応していたからだ。化石化した骨格を調べると、古代の狩猟採集民は子孫の農耕民よりも、飢えたり栄養不良になったりすることが少なく、一般に背が高くて健康だったことがわかる。 p71-72

初期の農耕民よりも狩猟最終民の方が栄養がたくさんあったということですね。
もしもまだ現代人がこのころのサピエンスとあまり変わっていないとするならば、単一の栄養源に依存するよりも、たくさんの食べ物から色々食べた方がいいということになりそうです。

とはいえ、慌ててアチェ族を非難してはならない。彼らと何年もいっしょに暮らした人類学者たちは、大人どうしの暴力行為が非常に稀であることを報告している。男性も女性も、自由にパートナーを替えることができた。彼らはたえず微笑み、笑い、リーダーシップのヒエラルキーを持たず、たいてい人に威張り散らすようなことはしなかった。財産は乏しいのに極端なほど気前が良く、成功や富に執着することはしなかった。彼らが人生で最も大切にするのは、他者との良好な交流と、質の高い交友関係だった。彼らは、今日多くの人が中絶や安楽死を見るのと同じ目で子どもや病人、老人の殺害を眺めていた。 p74

アチェ族の例が紹介されています。
まだあまり文化などが発達していないサピエンスが何を大切にするのかは非常に興味深いテーマです。
ここでは、「他者との良好な交流と質の高い交友関係」とありますね。

普段私たちが生活する文明の中で、忘れかけてはいけないものがこれかもしれないです。

それは、人々が歴史を通じて計算違いをしてきたのと同じ理由からだ。人々は、自らの決定がもたらす結果の全貌を捉え切れないのだ。種をばらまく代わりに、畑を掘り返すといった、少しばかりの追加の仕事をすることを決めるたびに、人々は、「たしかに仕事はきつくなるだろう。だが、たっぷり収穫があるはずだ!不作の年のことをもう心配しなくて済む。子どもたちが腹をすかせたまま眠りに就くようなこと、金輪際なくなる」と考えた。p115-116

人々が歴史を通じて計算違いをしてきたのは、「結果が読めないから」ということです。
確かに、未来のことを予想するのは簡単なことではありませんし、「想定外」は簡単に起こりえます。
人間はそういうものなんですね。

農耕のストレスは、広範な影響を及ぼした。そのストレスが、大規模な政治体制や社会体制の土台だった。悲しいかな、勤勉な農耕民は、現在の懸命な労働を通してなんとしても手に入れようと願っていた未来の経済的安心を達成できることは、まずなかった。至るところで支配者やエリート層が台頭し、農耕民の余剰食料によって暮らし、農耕民は生きていくのが精一杯の状態に置かれた。
こうして没収された食料の余剰が、政治や戦争、芸術、哲学の原動力となった。余剰食料のおかげで宮殿や砦、記念碑や神殿が建った。近代後期まで、人類の九割以上は農耕民で、毎朝起きると額に汗して畑を耕していた。彼らの生み出した剰余分を、王や政府の役人、兵士、聖職者、芸術家、思索家といった少数のエリート層が食べて生きており
、歴史書を埋めるのは彼らだった。歴史とは、ごくわずかの人の営みであり、残りの人々はすべて、畑を耕し、水桶を運んでいた。 p132

つまり、現在ある人間の文明が生じる根本的な原因というのは、農耕社会にあったということなんですね。
これは驚きです。
さらに、ここにエリートと労働者という2つの階級が見えはじめていることが、既に現在の資本主義の原点になっていそうなことも興味深いポイントです。

人類の文化は絶えず変化している。この変化は、完全にランダムなのか、それとも、何かしら全体的なパターンを伴うのか?言い換えると、歴史には方向性があるのか?
答えは、ある、だ。何千年もの間に、小さく単純な文化が、より大きく複雑な文化に少しずつまとまっていったので、世界に存在する巨大文化の数はしだいに減り、そうした巨大文化のそれぞれが、ますます大きく複雑になった。 p206

歴史に方向性があるという話です。
つまり、サピエンスの歴史を見ると、この地球全体に広まり、それぞれが小さい群れだったものが少しずつ少しずつまとまってここまで来たという話です。
そして今グローバルという地球上のサピエンスが一つになろうとしている時代に突入しているという話なんですね。

ホモ・サピエンスは、人々は「私たち」と「彼ら」の二つに分けられると考えるように進化した。「私たち」というのは、自分が何者であれ、すぐ身の回りにいる人の集団で、「彼ら」はそれ以外の人全員を指した。 p212

「敵」と「味方」のように、人を分けてしまうのは人間の特性だと思います。
これはそうなるように進化してきたんですね。

『自分の小さな「箱」から脱出する方法』という本がありましたが、この境をどこに持っていくかでその後の生活が変わることがありそうです。

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今日、宗教は差別や知見の相違、不統一の根源と見なされることが多い。だがじつは、貨幣や帝国と並んで、宗教もこれまでずっと、人類を統一する三つの要素の一つだったのだ。社会秩序とヒエラルキーはすべて想像上のものだから、みな脆弱であり、社会が大きくなればなるほど、さらに脆くなる。宗教が担ってきたきわめて重要な歴史的役割は、こうした脆弱な構造に超人間的な正当性を与えることだ。p10

宗教の役割が説明されています。
貨幣や帝国、宗教。全て実態がないものが人類を統一するために役立ってきたのですね。

そう考えると、僕たちは今何の上で生活しているのだろう?
と考えますが、それは「虚構」なんです。
人間は「嘘」の上で生きており、「嘘」がないとここまでの生活ができないということみたいです。

やがて多神教の信者の一部は、自分の守護神をおおいに気に入ったので、多神教の基本的な考え方からしだいに離れていった。彼らは自分の神が唯一の神で、その神こそがじつは宇宙の至高の神的存在であると信じ始めた。 p18

多神教・一神教のなりたちについてです。
今ではこの2分類されることが多いので、てっきり別々に派生してのかと思っていましたが、こういう順番でできたんですね。知りませんでした。

多神教は一神教だけでなく、二元論の宗教も産んだ。二元論の宗教は、善と悪という、二つの対立する力の存在を認めている。一神教と違い、二元論では、悪の力は独立した力であり、善き神に創造されたのでも、善き神に従属するものでもないと信じられている。二元論では、全宇宙はこれら二つの力の戦場で、世界で怒ることはすべてその争いの一部だと説明されている。p22

以前、東洋思想を学んだ際に、西洋的な哲学は二言論であると書かれていました。

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その源の考えがどこから来ているかというと、それは一神教から来ているんですね。

過去300年間は、宗教が互いに重要性を失っていく。世俗主義の高まりの時代として描かれることが多い。もし、有神論の宗教のことを言っているのなら、それはおおむね正しい。だが、自然法則の宗教も考慮に入れれば、近代は強烈な宗教的熱情や前例のない宣教活動、史上最も残虐な戦争の時代ということになる。近代には、自由主義や共産主義、資本主義、国民主義、ナチズムといった、自然法則の新宗教が多数対等してきた。これらの主義は宗教と呼ばれることを好まず、自らをイデオロギーと称する。だが、これはただの言葉の綾にすぎない。もし宗教が、超人間的な秩序の信奉に基づく人間の規範や価値観の体系であるとすれば、ソヴィエト連邦の共産主義は、イスラム教と比べて何ら遜色のない宗教だった。 p32

これはすごく面白いです。
つまり、「宗教は今それほど重要視されていない」のではなく、僕たちの社会を作っている資本主義などの根本的な仕組みそのものが宗教だということですね。

生存のための戦いは厳しく非情ではあるが、生命を維持するための唯一の方法である。この闘争により、生きることに不適当な者はすべて排除され、生き延びることのできる者はすべて選ばれる・・・これらの自然法則は絶対である。生き物は、まさに自らの生存をもって、その正しさを立証している。 p41

闘争本能についてです。
僕はわりと平和主義者で、あまり争いとかは好きではないのですが、生命を維持するためには戦っていかなければならないようです。
他の個体よりも優位性をもって、生き延びていく必要がありますね。

それでは私たちがなぜ歴史を研究するのか?物理学や経済学とは違い、歴史は正確な予想をするための手段ではない。歴史を研究するのは、未来を知るためではなく、視野を広げ、現在の私たちの状況は自然なものでも必然的なものでもなく、したがって私たちの前には、想像しているよりもずっと多くの可能性があることを理解するためなのだ。たとえば、ヨーロッパ人がどのようにアフリカ人を支配するに至ったかを研究すれば、人種的なヒエラルキーは自然なものでも必然的なものでもなく、世の中は違う形で構成しうると、気づくことができる。 p48-49

よく、「未来を知るために歴史を学びなさい」という人がいます。
けれどもここでは歴史を研究する目的が述べられています。
歴史を研究するのはもっと大きな目で今の自分たちの立ち位置を知るためだということです。

たいていの人が近代科学を消化するのに苦労するのは、そこで使われる数学的言語が、私たちの心には捉えにくく、その所見が常識に反することが多いからだ。世界に暮らす70億人のうち、量子力学や細胞生物学、マクロ経済学を本当に理解している人がどれだけいるだろう?それでも科学がこれほどの声望を欲しいままにしているのは、それが私たちに新しい力を与えてくれるからだ。大統領や将軍たちは、原子物理学は理解していないかもしれないが、核爆弾に何ができるかは、よく知っている。 p70

科学というのは、とても力を与えてくれるものなんですね。
つまり、勉強すれば力がつくということです。

そして、多くの人がそれらを完全に理解せずに使っているということなんです。
だから、勉強すれば多くの人が知らないことを知れるということであり、それは生きていく上で大きなアドバンテージになるのではないでしょうか?

ほとんどの科学研究は、それが何らかの政治的、経済的、あるいは宗教的目標を達成するのに役立つと誰かが考えているからこそ、資金を提供してもらえる。 p86

役に立たない科学研究には資金提供が見込めないみたいです。
しかし、役に立つというのが、あくまで「政治的」「経済的」「宗教的」目標に限られていることに注意ですね。

つまり、科学研究は宗教やイデオロギーと連携した場合にのみ栄えることができる。イデオロギーは研究の費用を正当化する。それと引き換えに、イデオロギーは科学研究の優先順位に影響を及ぼし、発見された物事をどうするか決める。したがって、人類が他の数ある目的地でなくアラモゴードと月に到達した経緯を理解するためには、物理学者や生物学者、社会学者の業績を調べるだけでは足りない。物理学や生物学、社会学を形作り、特定の方向に進ませ、別の方向を無視させたイデオロギーと政治と経済の力も、考慮に入れなくてはならないのだ。 p89

科学はそれ単体で発展したきたわけではないということです。
宗教や政治、経済とお互いに関連しながらここまで発展してきたわけですね。

インカ帝国の支配下にある人たちがメキシコの先住民のたどった運命を知っていたら、侵略者に自らの命運を託すことはなかっただろう。だが、彼らはそれを知らなかったのだ。 p114-115

「知らない」ということの恐怖を示しています。
知っているだけで大きなアドバンテージになり、知らないと身を滅ぼすこともあるわけですね。

だが経済の近代史を知るためには、本当はたった一語を理解すれば済む。その一語とは、「成長」だ。良きにつけても悪しきにつけ、病めるときも健やかなるときも、近代経済はホルモンの分泌が真っ盛りの時期を迎えているティーンエイジャーのごとく「成長」を遂げてきた。 p127

今度は経済の話です。
つまり、経済は常に発展してきたわけですね。
より大きく、大きく、と。
さて、じゃあいつパンクするのか。気になるところです。

銀行がーそして経済全体がー生き残り、繁栄できるのは、私たちが将来を信頼しているからにほかならない。この信頼こそが、世界に流通する貨幣の大部分を一手に支えているのだ。 p130

経済が成り立っているのは、私たちの信頼というこれまたあいまいなものだということです。
この本を読み進めると、私たちが日頃当たり前だと思って扱っているものがいかに虚構や想像の上で成り立っているのかがどんどん明らかにされていきます。。

資本主義・消費主義の価値体系は、表裏一体であり、二つの戒律が合わさったものでだ。富める者の至高の戒律は、「投資せよ!」であり、それ以外の人々の至高の戒律は「買え!」だ。 p181

ここで、お金の使い方についていい文章を発見しました。
つまり、投資か消費かのお金の使い方が、その人の富の量を決めています。
当たり前の話ですが、なかなか実践できている人はいないのではないでしょうか?

「お金は使うほうが難しい」とは、稲盛和夫さんもおっしゃっています。

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ほとんどの人は、自分がいかに平和な時代に生きているか実感していない。1000年前から生きている人間は一人もいないので、かつて世界が今よりはるかに暴力的であったことは、あっさり忘れられてしまう。 p202

今の時代の平和さを考えてみると、たしかに世界中がある種統一され、大きな戦争が起きていません。
これは人類史上まれに見る状態ですよね。

唯一私たちに試みられるのは、科学が進もうとしている方向に影響を与えることだ。私たちが自分の欲望を操作できるようになるの日は近いかもしれないので、ひょっとすると、私たちが直面している真の疑問は、「私たちは何になりたいのか?」ではなく、「私たちは何を望みたいのか?」かもしれない。この疑問に思わず頭を抱えていない人は、おそらくまだ、それについて十分考えていないのだろう。 p263

「私たちは、この先どうなりたいのか?」という問題です。
これ、考えれば考えるほど難しい問題だと思います。

まとめ

このように、とても内容が濃い一冊でした。
この一冊を読めば今の社会に関する一通りの知識は得ることができそうですよね。

少しむずかしい本かとは思いますが、ぜひ挑戦してみてはいかがでしょうか?

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